待ち合わせ場所を間違えたのだろうか、一瞬どきりとした。
いや、そんなことはない。昨日やりとりしたメールには確かに『ほな、11時に東口の改札でな』とある。
時刻は10時50分。まだ待ち合わせの時間は来ていない。けど、いつもなら改札を出てすぐ右にある柱に彼がもたれかかっているはずだ。
「(おかしいな…)」
蔵ノ介くんとの待ち合わせで、私の方が先に来たことはまず無かった。
物ぐさな私だけど、それでも毎回10分前くらいには着くようにしている。けど当然待ち合わせ場所には既に蔵ノ介くんが居て、しかもお決まりの「俺も今来たとこ」という台詞をさらりと発するのだ。いやいや流石パーフェクト。
しかしながらそんな爽やかな笑顔を崩してやろうという邪心が沸いて、一度くらい先に待っていようと1時間前に行ったことがある。それでも彼は先に来ていた。
1時間前に待ち合わせ場所に居た彼は、本当の意味で「今着いた」という感じで、そして「さあ待つぞ」という感じだった。なので私が現れた時は心底驚いていた。
流石に「どんだけ前から待ってるの?」と聞いたら、苦笑交じりで「楽しみすぎて徹夜してもうたわ」とだけ言った。
そうかそうかいつもそんな前から。私は、何でか知らないけど頑張るなあと感心しただけで特に何も思わなかったが、蔵ノ介くんの方は「あちゃー引かれた。1時間も前から待ってるなんて引かれた絶対。」と言いたそうな表情を爽やかな笑顔の下に隠しこんでいるようだった。
そんなの気にしてない、とはなんとなく彼のプライドみたいなものを傷つけそうだったのでやめたけど。
そんな事を思い出しながらいつも蔵ノ介くんがもたれかかっている柱に、自分も同じことをする。
珍しく彼が先に居ない。そこに不安はあれど不快さは無かった。
彼も、寝坊しただとか、忘れ物して家にとんぼ返り…なんてことがあるかもしれない。むしろそうであってほしい。
そもそもいつもが早すぎるだけなんだから。
完璧な彼にはどうしようもなく惹き付けられる。キラキラしている。カッコイイ!だけども私にだけは弱い部分も見せてほしいと思う。そんなのは蔵ノ介くんの意思に反するだろうか。
白石蔵ノ介の『完璧』には、それを構成するための努力が裏のまた裏にある。それは誰にも見えないし、彼が見せようとしない。
彼がそれでいいならいいのだけど、少しだけでいいから肩の力を抜いてほしいというのはワガママなんだろうか。
ふと、改札の奥で人波をかき分ける男子を発見した。
蔵ノ介くんだ。いつも通りお洒落にきめてきているけど、表情は鬼にでも追いかけられているかのようだった。
荒々しい手つきでパスケースを改札機に押しつけてこちらへ近づいてくる。
かなり走ったのか、息も絶え絶えな蔵之介くんは私が体重を預けていた柱から背中を離す前に、「ごめん!」と言い放った。
「ほんまごめん、待たせてしもて、ちょっ、由香里が、目覚まし、壊してしもて、そんで寝坊して、走ったらメールも打てんくて、地下鉄やし電波」
「だ、大丈夫だよまだ11時もなってないし」
携帯の時刻は10時58分を指している。いつもの蔵ノ介くんとしては大遅刻なんだろうけど、本来なら1分も遅れたわけではないのだからにそんな勢いで謝る必要は無いのに。
「せやけど」
「蔵ノ介くんより先に着いたの、初めてだったしなんか嬉しかったよ」
私はフォローしたつもりだったけど、フォローにもなんにもなってなかったらしい。
当の蔵ノ介くんは納得のいってない苦い表情で「さいあくやもう、ああ」と繰り返している。
「いいってばもう。私も今来たとこだから」
いつも蔵ノ介くんが言うその台詞を聞いて、泣きそうでさえあった蔵ノ介くんがやっと笑みを取り戻した。
「俺のデートはを待っとる所から始まるんや、本来は」
「ねえ、いっつも1時間前も前から待ってるの?」
一瞬顔が固まる。
「…やっぱあん時引いた?」
「へんたい」
「あかん…」
「でもなんで。私いっつも10分前に来るか来ないかじゃん。せいぜい20分前に着いてれば先には居れるよ」
「いや、そういうこととちゃうくて、まあそれもあるけど」
「うん?」
「先待っとると、楽しいやんか…今日はどうしよかなー、とか…いずみの服どんなんやろとか…」
「妄想してんだ、1時間も」
「妄想ちゅうか、うん…はい」
「ヘンタイだー」
「やから変態ってなんやねん!」
「うん、でも今日は私もできましたよ。8分だけ。居ないからちょっと心配したけどね」
「すまん」
「なんで謝るの。責めてないって」
「…あとやっぱそれ、次回からまた俺の専売特許で。」
「妄想?」
「うん」
俺のエクスタシーやねんからな、と訳のわからん発言付きの照れ顔は相当破壊力のあるものだった。
彼としては失敗だったかもしれないけど、私としては朝から(といっても昼近いけど)いつもと違う蔵ノ介くんの顔が見れて嬉しい。
彼の完璧を構成する、裏の裏の部分が少し欠けてしまった時のあの顔(由香里が、目覚まし、とか言ってた時の)は静かに心の宝石箱にしまい込む。
そしてまた、苛めたくなった時に取り出そう、とほくそ笑んで勝手に小悪魔気分になっていた。
駅の出口を出ると、丁度真上に来た太陽が眩しかった。
街は休日なりに人で溢れて居たけど、蔵ノ介くんとなら何処へ行こうと苦にならないような気がする。
「よっしゃ、出鼻は挫いたけど、今日もパーフェクトな一日にするでー」
「さてまずは?」
「まずはここ!」
と見せる蔵ノ介くんの携帯の画面には最近出来たというお洒落なレストランのページ。
きっと彼の事だから予約を入れてあるのだろう。そしてメニューの下調べも済んでいるはず。
自然な動きで手をつないできた、ニコニコ顔の彼を見ながら思う。やっぱ完璧だわ、白石蔵ノ介。
110124 どうあがいても格好いいです白石さん。